エリウド・キプチョゲ選手がフルマラソン1時間59分のサブ2を達成した。国際陸連非公認の記録ではあったものの、42.195kmを2時間切りした時の姿は、どこか遠い国で起きた革命のようにも見えた。それでは詳細です。
前回2017年の挑戦の時は、キプチョゲのことを知らなかった。当時はアイアンマン 世界選手権の出場権獲得に熱中している時で、マラソン2時間切りのプロジェクトと言っても、通常のレースとは違う特殊な環境で記録だけを狙いに行く試みであり、短距離の追い風参考記録みたいなもの。それを狙いに行くことに意味あるのか。それくらいに思っていた。
でも、その後、キプチョゲのマラソンでの圧倒的な勝負強さと、以前紹介した自己規律などの考え方に魅力を感じ、キプチョゲの情報をフォローしていると、この挑戦の準備段階の情報も入ってきて、徐々に見方が変わっていった。この人はどこまでやれるのか。それを成し遂げた後に何を考えるのか。そうした事を知りたくなった。
当日、YouTubeのライブ中継を見ると、キプチョゲは前後に配置された7人のペーサーに守られながら走っていた。前方を走る車は1km2:50のペースを正確に守りながら、緑色のレーザーを地面に向けて発している。キプチョゲの空気抵抗を最小限に抑えるフォーメーションをガイドしているのだろう。もはやマラソンと言うより、新しいタイムトライアル種目の誕生と言う感じだ。
Wikipediaの情報によると様々な工夫がなされているようだ。
- 車による正確なペース配分で、無駄なスピードの上下とそれにより生じる疲労を減らす
- コースはキプチョゲが生活しているケニアと経度が変わらない地域から選び、移動時の時差ボケを生まないようにする
- また、海抜が低く酸素濃度が高い場所、風の影響を受けないように公園の樹木で守られた場所、カーブによるロスが少なくアップダウンもない場所を選択している
- シューズはカーボンプレートが入った高反発の特製シューズ
- コース沿いに観客が入って応援出来るようにした(前回は観客なし)
- ペーサーの陣形をV字形に変更(前回は菱形)
- ペーサーは7人が一定距離で入れ替わり合計41名が参加
- 特殊な糖質ドリンクを自転車から受け取る方式を採用
このような条件での挑戦には批判的な見方もあるようだ。それについては、前回の挑戦を取材した経験があるアレックス・ハッチンソンが、『ENDURE 持久系アスリートのための耐久力の科学』の中で、エベレストの初登頂でも酸素補助について同じような論争になった事を紹介している。
本が手元に無いので正確に思い出せないが、初登頂は確かに酸素補助があって可能になった。しかし、酸素補助があったとしても登頂した事で、その後、多くの登山者が続き、ルートの開拓や登攀技術を含めた様々な改善が蓄積されて、25年後にメスナーによって無酸素登頂が実現された。酸素補助があったとしても初登頂によって人々に実現可能だと思わせた影響力は大きい。そう言う話だったと思う。
フルマラソン2時間を切る意味やその方法の正当性について私には分からないし、技術的なことについてもそこまで関心がない。
それより、私にとって印象深かったのはゴール前後のチームメイトの姿だ。
ゴールから残り1kmくらいでキプチョゲは一人スピードを上げ、単独で走り始めた。その姿に目標達成を確信して、後方から手を挙げて喜ぶチームメイト達。そして彼らはゴール後に大喜びしながらキプチョゲを担ぎ上げた。
今回一緒に走ったチームメイトはペーサーとは言え、全員が一流選手だ。そのような人たちが熱狂的に喜ぶ姿を見て『リーダーシップの旅』と言う本を思い出した。
この本はリーダーシップを「見えないものを見る旅」と言う視点で捉え解説している。天安門事件で、白旗一つで戦車を止めた青年が、なぜあのような行動を取ったのか。そこから始まるこの本を20代の頃に読んで、若かった事もあるが、かなり影響を受けた。
今回のキプチョゲの挑戦とそれを支えたチームメイト、映し出されてはいないがこのプロジェクトに関わった多くの人々、そして私含めた観客。そこにリーダーシップの旅と似た構図を感じた。いくつか本から抜粋しよう。
「リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくはみようとする。そして、その人は現実に向けて行動を起こす。世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。」
では、たった一人で始まる旅は、その後どうなるのか。
「リーダーシップの旅は、「リード・ザ・セルフ(自らをリードする)」を起点とし、「リード・ザ・ピープル(人々をリードする)」、さらには「リード・ザ・ソサイエティ(社会をリードする)」へと段階を踏んで変化していく。この流れをリーダーの成長プロセス、言い換えれば、リーダーが「結果として(すごい)リーダーになる」プロセスと見なせば、リーダーシップをさらに動態的にとらえることが可能になるだろう。」
そもそも一人で始める旅はなぜ始まったのか。なぜ始めざるを得なかったのか。
「リード・ザ・セルフを駆り立てるものは、人それぞれだ。(中略)リード・ザ・セルフの力の源になるのは、何のために行動するのか、何のために生きるのかについての自分なりの納得感のある答えだ。」
リーダーシップは何を対象に発揮されるのか。その結果、何が生み出されるのか。
「リーダーは創造と変革を扱う。(中略)旅を前にして、人はそんな新しいやり方は非現実的だ、不可能だと言う。旅を終えて、人は、なぜ自分たちがそんな風に言っていたのかすら不思議に思う。この諺が語る創造と変革の共通点は、「事前のあまりにも高い不確実性」と「事後には当たり前だと受け入れられる常識性」ということになる。事前の不確実性と事後の常識性、その間にあるのは、連続ではなく非連続だ。リーダーシップの旅において、リーダーはこの非連続を飛び越える。」
最後に、創造と変革を扱い、ピープル、ソサイエティへとリーダーシップの影響範囲を広げていくためにはどうあるべきなのか。
「リード・ザ・セルフから始まるリーダーシップの旅も、一人では貫徹できないのが通常だ。旅の途中からは、人々から共鳴、共感をもらい、賛同を得て、ともに力を合わせて歩んでいくことになる。その際、リーダー(になる人)が「この人にならついていきたい」「この人となら一緒に仕事をしてみたい」「この人のために一肌脱ぎたい」と言ってもらえる人であれば、命令や権威、飴と鞭での動機付けをしなくても、フォロワー(になる人)の自発的な参画や協働を可能にするだろう。現実に向かって人の輪が広がり、ごく自然に自分の夢がみんなの夢になっていくに違いない。難しい話でも何でもない。戦略的思考とかコミュニケーションスキルを磨く前に、魅力的な人間であること、リーダーシップはこれに尽きると言っていいかもしれない。」
キプチョゲは、マラソンで勝ち続け、記録を伸ばす中で、未だ誰も達成した事がなく、不可能だと言われた2時間切りに挑戦したいと思った。そして、その為の支援と機会を得たものの、わずか25秒足りず失敗。それでも実現可能と感じ、改めて圧倒的な支援を受けながら、その間レースにも勝ち、世界記録も更新した上で、2時間の壁を破った。
そこに至る過程では、彼の日々の行動やレースでの結果が、少しずつ周囲の2時間切りの可能性に対する見方を変えていった。そして「自分もその瞬間を見たい」と強く思わせるようになった。(私もその一人だ)
2時間切りを達成した今、キプチョゲ自身が、これから2時間切りする選手が続くだろうと予想している。そうなれば、条件を整えれば2時間切りが当たり前の世界になる。そして、いずれフルマラソンのレースでも2時間切りの瞬間が訪れるだろう。それをキプチョゲが実現するかはわからないが、彼ならやってくれる。そう信じたい。